ミック・カーン、逝去

 1970〜80年代にかけて活躍した英ロックバンド「ジャパン」のベーシスト、ミック・カーンさんが4日、がんのため英ロンドンの自宅で死去した。カーンさんの公式サイトで発表されたもので、52歳だった。

 カーンさんは昨年6月に末期がんを告白。同サイトによると4日午後4時半頃、家族や友人に見守られながら息を引き取ったという。

 カーンさんは親友だったデヴィッド・シルヴィアン(52)や、その弟スティーヴ・ジャンセン(51)らとともに「ジャパン」を結成し、1978年にアルバム「果てしなき反抗」でデビュー。82年の解散後も音楽活動を続け、「ダリズ・カー」などのユニットに参加した。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20110105048.html

84年ごろにワム!デュラン・デュランカルチャー・クラブといった第二次ブリティッシュ・インベイジョンの波から洋楽にどっぷりハマった私は、「ミュージック・ライフ」誌を購読していました。当時、同誌を始め洋楽雑誌の全盛期で、そこから自分の聴いたことのないアーティストへの興味を広げていったものです。
ジャパンを知ったのはそんな時期で、「ミュージック・ライフ」にジャパンのディスコグラフィーと元メンバーのデヴィッド・シルヴィアンのインタビューが掲載されていたのを読んで興味を持ちました。
既にジャパンは解散、ミックは1stソロ「タイトルズ」やウルトラヴォックスのミッジ・ユーロとシングル「アフター・ア・ファッション」、元バウハウスのピーター・マーフィーとのユニット「ダリズ・カー」など最も積極的に活動していました。

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ジャパンはよく知られるように、本国イギリスではデビュー当初まともに相手にされず、ドイツのアリオラ・ハンザからレコードを出すのがやっとでした。そんな彼らを熱狂的に支えたのが日本のファンで、それは音楽性というよりもルックス先行(特にデヴィッドとスティーヴの兄弟)だったそうです。
その後、ミュンヘン・ディスコの帝王ジョルジオ・モロダーのプロデュースによるシングル「ライフ・イン・トーキョー」、ジョン・パンターのプロデュース「クワイエット・ライフ」を発表し、音楽的にも注目を浴びるようになってきます。彼らの音楽性の特徴は基本的にはR&Bやファンクといったブラック・ミュージックとデヴィッド・ボウイロキシー・ミュージックあたりのグラム・ロックですが、この頃にはニュー・ウェーヴ的なシンセ、複合的なビート、そしてミック・カーンの弾くフレットレス・ベースのサウンドが特徴的な無国籍サウンドに変化します。

ようやく評価を得られるようになると、彼らはヴァージン・レコードに移籍、「孤独な影」(当時YMO坂本龍一が参加)や「ブリキ(原邦題は漢字)の太鼓」とヒットを飛ばし、ピークのときにあっさり解散してしまいました。
いずれにせよ、ジャパンは私が初めて聴いたことのないゼロの状態から後追いで聴き始めたアーティストで、非常に思い入れが強く、なかでもミック・カーンの独特なルックスとベースラインの存在感は私にとっては「神秘」でした。
ミックは内向的なデヴィッドとも異なり、ゲイリー・ニューマンケイト・ブッシュ矢野顕子土屋昌巳など数多くのセッションにも参加、あのベースサウンドを聴かせてくれます。
ご冥福をお祈りいたします。