「親しみをこめてやった」高齢者虐待に関する考察

以前も書いたかもしれませんが、某サイトで虐待に関する議論を行いましたので、まとめてみたいと思います。
きっかけはこの事件。

老健施設で入所者虐待か 宇都宮シルバーホーム 裸撮影、顔に落書き /栃木 4月16日 05:00 下野新聞


 宇都宮市平出町の介護老人保健施設「宇都宮シルバーホーム」(http://www.hokutokai.or.jp/kaigo/)で、20代の複数の介護職員が、認知症の入所者が上半身裸で四つんばいになっている姿を携帯電話で撮影したり、入所者の顔に落書きするなど、虐待の可能性がある行為を行っていたことが15日、下野新聞社の取材で分かった。同施設を運営する医療法人北斗会は「悪意はなかったが、行きすぎた行為だった。入所者と家族の方に申し訳ない」と謝罪している。市は、高齢者虐待防止法に基づく調査に乗り出す方針。
 同法人によると、これらの行為は2年前〜昨年末にかけてあったという。認知症の女性の姿を携帯電話で撮影したのは、女性介護職員。自立歩行ができずに、ベッドの下で四つんばいになっている姿を撮影し、同僚たちに見せて笑ったという。このほか、別の介護職員2人が、認知症の女性入所者の顔にペンでひげを書き、携帯電話で撮影した。
 同法人が3人の介護職員に聞き取り調査をしたところ、「親しみを込めてやった。かわいかったから」と話したという。同法人は3人を訓戒処分とし、始末書を提出させた。
 また、男性介護職員は、90代前後の女性入所者を車いすからベッドに移す際、高く持ち上げて乱暴に落としたという。この男性介護職員は既に依願退職している。
 同法人は、顔に落書きをした女性については、家族に事実関係を報告し、謝罪。他の2人は退所したため連絡を取っていないという。
 市高齢福祉課は「介護の仕事は人間の尊厳にかかわることが多く、慎重になるべきだ。家族が見たらどう思うか、考えなければならない」と指摘している。
 介護職員による高齢者への虐待は、先月初め、三重県グループホームで、女性入所者のトイレ内の様子が携帯で撮影された問題が発覚している。


■不透明な施設内の実態


 介護老人保健施設で明るみに出た入所者への虐待の可能性が疑われる行為。高齢者虐待防止法は要介護施設や家庭で行われた虐待の発見者に通報を義務付けているが、通報がなければ自治体は把握すらできず、要介護施設内の実態も不透明といえそうだ。
 県高齢対策課によると、65歳以上の高齢者に対する虐待が確認された県内の件数は2006年度の173件、07年度の158件から、08年度は222件と一転増加。しかし各年度とも家庭内の虐待のみで、要介護施設内の虐待は1件も確認されなかったという。
 同法は、たたくやつねるといった「身体的虐待」、わいせつな行為をする「性的虐待」のほか、無視や嫌がらせによる精神的な苦痛も「心理的虐待」と定義している。より弱い立場の認知症の高齢者への虐待は、一層戒められるべきだ。
 同課は「表面化しない施設内の虐待もあるかもしれない」としており、同法に基づく実態把握の限界を認めている。
(記事URL http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100415/310020

以前、三重県の施設で高齢者がトイレに入っているところや職員が鼻を押しているところを携帯で撮影し、動画を流したという事件がありましたが、共通点は加害者が「親しみをこめてやった」「悪気はなかった」と言っていることです。
これが罪を逃れるための言い訳か、本心かはわかりませんが、前者は論外としても、意外に後者である可能性は否定できないかもしれません。
そもそも医療や介護というのは極言すれば傷害罪や監禁罪など一部の刑法が適用されない(違法性阻却される)業種。その特殊性から、一般人から見れば、どう見ても虐待としかいえないような「状況」でも微妙な話になってきます。これは経済学でいうところの「情報の非対称性」(サービス提供者側と利用者側の知識・情報の格差)の問題でもあります。
たとえば、入浴介助や排泄介助というのは、相手の服を脱がせ、性器を露出させるという状況だけを切り取って一般的にみれば「強制わいせつ罪」になるわけで。
虐待防止法の心理的虐待の定義を文字通りあてはめれば、一般的感覚では介護業務なんてできなくなる。介助が必要だと利用者本人が認めていたとしても、利用者の心理的(心の中)には「著しい心理的外傷」(第2条5項の一)は起こるやもしれない。
だからこそ、介護職は自身の行動が一般常識からは乖離している可能性があることを自覚した上で理論武装しておかなければいけません。そのためには虐待防止法の定義・解釈をよくよく理解しておくこと、ケアとしての根拠を明確にしなければなりません。
虐待防止法における虐待の定義を下記に抜粋しますが、具体的なシチュエーションが定義されているわけではないのです。

高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律(平成十七年十一月九日法律第百二十四号)


第一章第二条
5  この法律において「養介護施設従事者等による高齢者虐待」とは、次のいずれかに該当する行為をいう。
一  老人福祉法(昭和三十八年法律第百三十三号)第五条の三に規定する老人福祉施設若しくは同法第二十九条第一項に規定する有料老人ホーム又は介護保険法(平成九年法律第百二十三号)第八条第二十項に規定する地域密着型介護老人福祉施設、同条第二十四項に規定する介護老人福祉施設、同条第二十五項に規定する介護老人保健施設、同条第二十六項に規定する介護療養型医療施設若しくは同法第百十五条の三十九第一項に規定する地域包括支援センター(以下「養介護施設」という。)の業務に従事する者が、当該養介護施設に入所し、その他当該養介護施設を利用する高齢者について行う次に掲げる行為
イ 高齢者の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
ロ 高齢者を衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置その他の高齢者を養護すべき職務上の義務を著しく怠ること。
ハ 高齢者に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の高齢者に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
ニ 高齢者にわいせつな行為をすること又は高齢者をしてわいせつな行為をさせること。
ホ 高齢者の財産を不当に処分することその他当該高齢者から不当に財産上の利益を得ること。

逆にいえば、介護従事者は世間一般的な感覚があっては業務ができないわけで、そういう意味では感覚麻痺をしやすくなり、結果的に虐待行為を「してしまっている」可能性があります。また、他の方のコメント内容の要約ですが、次のような指摘もあります。
介護の現場で職員が、「お年寄りカワイイ」という感覚から携帯で写真を撮ったりするなどという場面があるそうです。職員本人からすればまさに「親しみをこめてやった」というところなんでしょうが、この行為の正当性を示す事由として「利用者とはコミュニケーションが取れている」「信頼関係はできている」からそういう行為は問題ないというものがあります。
これはよく介護職が知識・技術といった専門性よりも「心」「志」「思い」といった姿勢・マインドを重視する傾向にあることを示していますが、「コミュニケーションがとれている」「信頼関係が成立している」ことを客観的に示す証拠(エビデンス)というのはありません。つまり介護職の思い込み(場合によっては「願望」)である可能性は否定できないのです。


以上のように考えますと、虐待事件が起こるたびにその当該職員の人間性や職業的意識の希薄さを殊更に問題視しても無意味だと思われます。従来の虐待事件は仕事や人間関係のストレスを弱者に対する虐待で解消する、というパターンが多かったと思いますが、三重やこの栃木の事件にしても、語弊はありますがそういう「陰湿さ」はなく、実にあっけらかんとやってしまっている。そこから「親しみをこめてやった」「悪気はなかった」という発言につながってくるバックグラウンドになっています。
つまり、一概に虐待事件といっても、虐待をしてしまった職員のパターンというのは以下のように整理できます。

1)自分のやっていることが虐待だと思っていなかった
2)自分のやっていることが虐待と思っていないし、正しいことだと思っている
3)虐待だとわかっているが、自分のやっていることが正しいと思っている
4)正しいとも思っていないが、虐待をやってしまう(だから隠れてやる)

これらは前述のような介護業務の特性や介護職特有の心性から、さらに下位概念に細分化されると思いますが、今後虐待事件を見ていく際にはこの分類で背景・対策を考えていかないと、職員の人間性だけの責任に収束させても何も変わらないでしょう。