「粗にして野だが卑ではない」

石田禮助の生涯 「粗にして野だが卑ではない」 (文春文庫)

石田禮助の生涯 「粗にして野だが卑ではない」 (文春文庫)

以前から読んでみたかった城山三郎氏による本。三井物産出身で国鉄総裁として辣腕をふるった石田禮助氏の伝記。ウィキペディアによる石田氏の履歴は下記参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E7%A6%AE%E5%8A%A9
Reasonable(合理的)であることを尊び、Mean(卑)であることを断固拒否するその生き方は、この本を愛読している経営者が多いというのを納得させます。前者は企業経営を行う人間としては大前提ですが、後者を貫き通せるパワーというのはなかなか持てないのも事実。商社というビジネスに潜む欺瞞性(商社がすべて欺瞞だというのではありません。念のため)から、晩年はPublic Serviceに関わりたいという石田氏の哲学も大いに共感を呼ぶものの、それはそこまでできないという現実の裏返しの想いからでしょう。
様々なエピソードは本書を読んでいただくとして、非常に感銘を受けた部分をいくつかご紹介します。

石田が(三井物産)支店長時代のことである。東京で支店長会議があり、その後、筆頭格の支店長の呼びかけで、秘密会議が開かれた。
重役は賞与を取り過ぎ。実際にもうけているのは支店長であり、重役賞与を減らし支店長に配分せよ―――と要求しようというのである。
とたんに石田は、
「やめろ、そんなこと」
と叫んだ。
座は静まり返った。その中で、石田は続けた。
「いまの重役諸公をみてみろ。もう長年あぶない橋を渡ってきて、ヤレヤレというところだ。それに見渡すところあまり長生きするようなやつはみえやせん。これからはわれわれの時代になってくるのだ。そんな連中のポケットをねらってやるのはきらいだ。やるなら勝手にやれ。わたしは不賛成だ」
支店長と言っても、その下の主任任せ。むしろ主任の賞与をふやすべきで、それには重役の賞与を減らすなどという姑息なことより、利益の中から配分するようにすべきだ―――と、石田は主張し、最初の要求案は立ち消えとなった。

上司や経営者ばかりを悪者扱いする人間が多い現在を思うと、この発言は胸を突きます。

(「安全」と「国鉄での仕事」に対する石田氏の考え方)
「(朝の通勤ラッシュの駅を視察して)このままじゃ三河島事故以上の大事故が起る危険もないとは言えないよ。……とにかく当面できるだけの手を打ちながら、打開策をぜひ考えなくちゃならん」
(中略)
「通勤対策は本来は国鉄の仕事ではないが、といって、降りかかる火の粉は振り払わねばならない。それに、この過密ダイヤと路線の酷使からは、大事故が発生しかねない。早急に輸送力の増強をはかるとともに、とりあえずは、輸送手段のすべてに安全装置をつけること。これは、財源あるなしにかかわらずやらなきゃいかん」
国鉄監査委員長時代、石田は「もうからなけりゃやっちゃいかん」と、しきりに効率を説いてきたが、しかし、安全については例外としていた。
(中略)
「風の向きによって、ときに夜汽車の響きが寝室にまでとどくことがある。深夜である。万物が平穏なひとときをひたすら貪っている時刻に、なお起きていて職務に励む人のあることを思うと、厳粛な気持ちにならざるを得ない。”神よ、願わくは安全を守り給え”と祈る気持ちになる」
(中略)
続いて、翌二月八日の衆議院予算委員会で、石田は言う。
いまの過密ダイヤは、世界の人の見ている前で「軽業をやっておる」ようなものであり、これでは、「事故が起きれば大きな事故になる要因はちゃんと潜在している」
事故が起る度に、国鉄だけがまるで「火つけ強盗」扱いされているが、
「一方、国会も政府もこれに同情してはくれはせぬ。私は国鉄総裁を引き受ける時分には、大石内蔵助になる覚悟で引き受けた。またこれからも起りますよ」
(中略)
国鉄職員の待遇が三公社並みであるのはおかしい、と言い出し、
「とにかく運転士なんていうものは、これは命を賭けておる。専売公社の仕事なんというものは、たばこをつくって売ればそれでいい。これは、政府はやはり考えてくれにゃいかぬと私は思う(当時国鉄では毎年何十人という殉職者が出ていた)」
「運転士なんかの仕事をみてごらんなさい。夜なか弁当を提げて、そして夜と昼間と間違えてやっておるような仕事だ。これを全然、無差別悪平等式の取り扱いをするところが人を使う道として間違っている。これは私は国鉄総裁の責任においてぜひとも是正せにゃならぬ問題だと考える(後にこれが問題にになり、全専売労働組合が抗議に石田氏のもとへ行く。しかし最後は言い負かされて納得して帰っている)」
(中略)
石田の国会での発言はただの発言では終わらなかった。後になって三パーセントの給与格差がついた。
ある国鉄OBは言う。
「あれで、みんなしびれました。おれたちのことわかってくれる」
(中略)
石田は言い続けた。
国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ」「仕事の質が違う」「仕事の匂いがちがう」―――

このエピソードのすごさは、当時国鉄がまったく経営権といえるものがなく、国会や政治家、運輸省(現在の告訴交通省)の言うままに動かされていた事実から想像していただきたい。そして石田氏の発言が単に組織防衛ではなく(そんな「卑」なことを彼が言うわけもないが)、PublicもしくはJusticeという観点からの考えであることに思いをめぐらしたい。また彼は政治家を敵視していたのではなく、むしろ同じPublic Serviceにかかわる同士としてみていました。現在の医療や介護のオピニオンリーダーに感じてもらいたいエピソードです。

石田がとくに好んで観たのは、勝新太郎主演の座頭市シリーズであった。
「勧善懲悪だし、最後には必ず勝って、死なないからいい」
水戸黄門も似たような筋立てなのに、石田は好まなかった。
「あとで印篭を持ち出して、いばる。権威を振り回すので、おもしろくない」
いばるのも、また「卑」の一種。
その点、座頭市は、粗にして野だが卑ではない。まさに石田好みの英雄であった。

自分でも意外なことに、この本を読んで思い出したのは「ナベツネ」こと読売新聞の渡辺恒雄氏。ただ彼は粗にして野だが「卑」かもしれません。影のフィクサーとして日本を憂いて動いてる点は確かですが、彼の価値観の中心はあくまで「読売新聞」で(そういう意味では忠実な「企業人」)、私腹を肥やすようなタイプには見えない点で石田氏と似ていますが、権威を振りかざす点では違いますね。