組織が悪いことをしていたら、個人はどう振舞うべきか?

不二家の事件は結局組織ぐるみなようで、とうとう社長交代、しかも創業者一族とは関係ない方が就任されるそうです。どうも同族企業に今回の不祥事の原因にする論調もあるようですが、不二家がそうなのかは別として、同族経営であることと不正は因果関係ではないと思うんですね。企業不祥事を批判していた某テレビ局(関西テレビ・フジ系列)が、番組で捏造報道していた事件が発覚したばかりですが、結局組織というもののダイナミズムが不正に駆り立てる要因をはらんでいると考えた方がいいように思います。
余談ですが、この某テレビ局の問題について、評論家の宮崎哲弥氏が、「マスコミの信頼性は、自身の問題についてどう扱うかによって決まる」「世の中にあふれるインチキ広告は(ダイエットとかあやしい金儲けグッズとか)は許されるが、テレビでは許されないとするならば、そのボーダーラインをどこまで自己規定できるかが問われている」(以上引用ではなく発言主旨)がと発言していて、なるほどと思いました。


さて、今日の本題は、このような組織における不正の圧力がどこからくるのかと、それに巻き込まれた個人はどう対応すべきかを考えてみたいのです。およそ組織の一員としての経験がある人間なら、今回のような事件について「会社が悪い、経営者が悪い」などと短絡的な主張をそう簡単にはできないはずです。これは不二家関西テレビを免責するという意味ではなく、組織での圧力に一個人が真っ向から対立していくというのは、自分の生活のこともありますから、そう簡単ではないだろうということです。


リスク・マネジメントの考え方では、このような不正問題が起こる組織要因のひとつに「グループシンク」(集団浅慮)というのがあると聞いたことがあります。どんなに正しい考えを持っていても、集団の中の多数に流され、抵抗できなくなる現象のことをいうそうです。古くはアメリカのスペースシャトル事故の事例で、事故の原因は部品の劣化にあり、その劣化可能性を部品メーカーは事前に知っていたそうです。またそれはNASAアメリカ航空宇宙局)も把握していたにもかかわらず起きてしまった事件です。
シャトル発射には、部品メーカーすべての同意のもとにその決定がなされることになっているそうですが(これはそもそも事故を防ぐための措置)、当時シャトル計画は遅れに遅れ、発射を何度も延期していました。そこでシャトル関係者は何とか早く発射したいという雰囲気が漂っていたそうです。発射予定の前日、非常に気温が低く、そのためにある部品に破損が発生する可能性がありました。しかしその部品メーカーは、今自社が発射延期を申し出て、発射のサインをしなかったらまた延期になってしまう、と判断し、危険性を認識していたにもかかわらず、サインをしてしまいました。その結果が・・・ということでした。
また、こういった規則が破られる理由として「厳しすぎる自主規制」もあるようです。要するに危険性を抑えるために、自主的に厳しい規制を二重三重に設定し、そうそう最悪の事態を招かないように安全システムを講じることによって、少しの規則違反が徐々に拡大したり、いいかげんな運営になってしまい、それが結果的に大事故の引き金になってしまうというもので、原子力発電所の事故にその事例が見られますし、今回の不二家も「これくらいなら大丈夫だろ」という意識が働いてしまったということもあったのではないかと思われます。


品質管理も前向きにとらえれば「顧客の信頼を勝ち取り、ブランドイメージを高める」という目的になりますが、リスク管理という後ろ向きな側面もあります(いわゆる最低基準としての考え方)。利益という大きな組織目標が前面に出れば、品質管理はその下位概念として最低基準的な位置づけになり、前述のグループシンクや規則破りをもたらすことにつながりやすくなるのは言うまでもありません。企業はボランティア活動ではありませんし、ましてや上場企業ともなれば利益を出すことは重要になってきます。まず組織はここをリセットしてバランスを取るのが本当なわけですが。だからこの点では経営者の責任は極めて重いのです。


ところがややこしいことに、社長なり経営者が自ら「品質を下げてでも利益を確保しろ」なんていうことはそうめったにはないでしょう。上場企業ならなおのことです。そんなことをいう会社なら、とっとと見切りを退職すべきだと思います。しかし、実際の「品質管理下位概念化」(私の造語ですが)は、こんなあからさまな形では行われません。むしろ現場が自主的に不正に手を染めることが多いのです。だから内部統制だ!ということで日本版SOX法が云々というのも解決策として短絡的な感じもします。


本題に戻します。では不正に気づいた一社員はどう対応すべきなのでしょうか。自分の地位や生活を脅かしてでも告発なり上申すべきなのでしょうか。自分が絶対に正しいんだからやるべきだ、というのは能力と意思の強い人間ですし、会社にいい意味で非常にロイヤリティを感じている方だと思います。そういった方々は立派で尊敬すべき人々です。でも実際には・・・。


申し訳ない、私も結論が出ません。結局それだけ自らがリスクを冒す価値のある組織なのかが判断基準でしかないように思います。もうひとつは、その不正行為がどの程度の被害をもたらすかという基準もあるのかもしれませんが、これはあまりに計算高いずるい考え方のようです。


経営者にとっては、今回のこれらの事例は大きな教訓となると思います。結局のところ、経営者が組織の特性というものをどれだけ知っているか、その上でいかに自社へのロイヤリティを高めるか、よい組織風土を作り上げるかということに尽きます。果たしてこれが法律的なSOX法やISOなどによって解決できるのでしょうか。私自身は非常に疑問に思っています。社員の組織へのロイヤリティの薄れは、雇用形態の変化や人材流動化、ちっとも上がらない労働分配率などを背景にして、バブル崩壊以降進んでいるように思います。その結果は一方で会社ではなく仕事そのものへのロイヤリティに向かう流れの一方で、自身のキャリア維持、組織へのぶらさがりを生み出しています。それがもっとも進んでいるであろう製造の現場では、既に大きな火種をそもそも有していたのではと考えざるを得ないのです。