有名人の死にあたって思うこと

飯島愛さんのお別れ会が昨日有志によって行われたようで、生前におつきあいの深かったと思われる芸能人が多く出席していました。どうしてもこういうのはマスコミによって報道されるので、売名行為というか演技のように思われてしまうのは芸能人として仕方のないことかもしれませんが、一般の方の出席も非常に多かったようで、小説「プラトニック・セックス」以降の根強いファンのようです(私は読んでませんが)。
私自身は芸能人に強い思い入れを抱くタイプではないので、ファンだった岡田有希子さんの自殺やジョン・レノンの暗殺、ジョージ・ハリスンの病死の報を聞いてもどこか遠くの出来事のようにしか思えません。一昨年、父が亡くなりましたが、いろいろな事情で30年近く疎遠だったこともあって、父でさえ特に大きな感慨もないという感じでした。
ただ、今回の飯島愛さんについては、短い間での芸能界引退→孤独死という流れもあって、それなりにいろいろと考えさせられたこともありましたので、つらつらと書いてみます。
彼女は当初AV女優という形で世に出、その後キャラクターが受けて一般の芸能界に登場しました。想像するに、AVに出演した経緯からしていろいろあったのだろう(このあたりは彼女の小説に記述があるらしいですが)し、芸能界登場後にもそういった過去と向き合わねばならない場面が多々あったでしょう(噂ではあるお笑い芸人が彼女の過去について番組内で突っ込んで険悪になった、などというエピソードもあり)。どれだけ一生懸命頑張っても偏見がつきまとったであろうし、それを自己責任の一言で片づけるわけにもいかないでしょう。加えて社会的な大事件との関係性を疑われたり(この真偽はいまだに不明、一応本人は否定)、自身の身体的・精神的病気もあって芸能界を引退せねばならなかったこと、その一方で他に生きる道がなかなか見つからないという焦りもあったであろう・・・とすべて推測の域にしかすぎませんが、漏れ聞く情報をつなげると相当ハードな晩年(というには若すぎますが)を過ごされてきたことと思います。合掌。
人の死の背景を思い量るとき、昨日の参列した芸能人同様、「どうして生きている間に助けてやれなかったのか」という思いに駆られたことと思います。しかし、一方で人間は身内でもない限り、基本的に自分の人生で手いっぱいで、他人を本気で支えるなんていうことは相当困難なことだと思います。
私も中学時代、それほど親しくはなかった同級生の女性の自殺と、高校時代、同じクラスで長期欠席していた同級生の男性の自殺を経験しています。前者は同じクラスになったことはありませんでしたが、幼稚園から知っていた人間でした。理由は忘れましたが、確か病気を苦にしての首つり自殺でした。後者はもともとメンタルに問題を抱えていて、高校1年を留年していました。そのうちだんだん学校に来なくなり、その理由もみなだいたい知っていましたが、2年の冬、おそらくは精神修養のため永平寺に行き、そこで雪の中彼は息絶えてました。状況からみて自殺だったと思います。
二人ともそれほど親しくはなかったとはいえ、強烈なショックを受けました。同世代の人間が、そして年齢的に将来大人になることしか考えていない人間が悩みに悩んで死を選んだということ・・・。
私は自殺を肯定も否定もできませんが、人の死について考えるとき、自分はどう考えるのかを思うべきかもしれません。そしてそれを真剣につきつめた人間のみが真の意味で生きる資格を得るような気がしています。抽象的な結論で甚だ恐縮ですが、上っ面のワイドショーの画面を見ながら、ふとそんなことをいろいろと考えた一日でした。